詩篇119篇5節6節
どうかわたしの道を堅くして、あなたの定めを守らせてください。(詩篇119:5)
この聖句ですが「わたしの道」のところがKJVだと「my ways」なんですよね。これ複数形の道なのが気になって気になってしょうがない。娘の部屋にヘブライ語のインターリニア聖書があったかな?今の時間帯だと迷惑になるのであとで・・・更新することを前提として現状ベストをつくします。弥永先生の翻訳した聖書をみつけましたので、1~8節まで掲載します。
(ヘブライ語アルファベットの歌)
1 幸いです、自分の道を全うして、主の律法の中を歩む者は。
2 幸いです、主の証を守り、心を尽くして主を求める者は。
3 彼らはまた、不義を行ないません。彼らは主の道に歩みます。
4 あなたは私たちに、あなたの諭しを熱心に守るように命じられます。
5 ああ、あなたの定めを守るように、わたしの歩みが確立されていたら良いのに。
6 あなたのすべての戒めに目を留める時、私は恥をかきません。
7 あなたの正しい裁きを学んだ時、私は正しい心をもってあなたをほめ称えるでしょう。
8 あなたの定めを守ります。私を完全に見捨てないでください。
弥永先生は、ヘブル語の原語の流れにできるだけ忠実に訳そうこころがけておられたのでしょうから:5 ああ、あなたの定めを守るように、わたしの歩みが確立されていたら良いのに。 という翻訳は参考になります(5節のこの訳はKJVの翻訳の適訳です)。ここで、神様に対する思いがあふれて、言葉が口をついてでてきたという印象を受けます。どんだけ、どれだけ、どれほど神様の定めた律法を愛しているのか。原語がこうだとして、口語訳は、「どうかわたしの道を堅くして、あなたの定めを守らせてください。」となります、訳者は、この形は、神に対する祈りに違いない、いや祈りでしか訳せないと判断したはずです。こういうのは、大きな学びになります。わたしは、この聖句をわかりやすく解説してほしいといわれたとき、10回すると毎回同じことをいうとは限りません。言葉の中にいろんな意味があってそれを表すときにでてくる言葉は氷山の一角の気がするからです。だから、この聖句のこの意味がわからないと質問される方がまだ答えやすいのです。
それでわたしは、弥永訳と口語訳が一つの訳として見えるのです。
すなわち、こころで「ああ、あなたの定めを守るように、わたしの歩みが確立されていたら良いのに。」と感じながら、その思いがこらえきれずわたしのくちびるは「どうかわたしの道を堅くして、あなたの定めを守らせてください。」と祈るのです。そして、祈りとはかくありたいと思うのです。
わたしは、あなたのもろもろの戒めに目をとめる時、恥じることはありません。(詩篇119:6)
こういった聖句を目にすると、わたし自身の欠点があからさまになり、わたしは本当に恥ずかしくなります。いかに神様の戒めを目にとめず生活していたことを思い出させるからです。ヤコブの手紙のみ言葉を思い出します。
「そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。」ヤコブ1:22~25